肘日記

かわいい女の子を眺めてニコニコしたり、カスタードを飲みたがる限界会社員瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢の日常です。

「大人になる」を言い換えると「女子高生が眩しく見える」

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女子高生。JK。
その響きの前に人々は打ち震えるしかない、現代日本における特権階級。
そのJKブランドの価値を知ってか知らずか利用して世間を上手く渡る女の子もいれば、その記号的価値を大人に引き出されて利用されてしまう女の子もいる。

とにもかくにも女子高生。
肘には女子高生が眩しく見える。


 
先日街を歩いていると、女子高生二人組を見かけた。
彼女らは芝生の上で、楽しそうにシャボン玉で遊んでいた。その様は絵本の一ページのように微笑ましく、尊さすら感じた。
肘の心はざわめき、「あああああ!何あれ!尊い!えっえっ狙ってるの?かわいすぎるでしょうなんだあの楽しそうな姿!ありがとう!!存在してくれてありがとう!!」と心の中で叫んでしまった。
本当は声に出して叫びたかったけれど、そうすると通報されるということを察知する程度には肘は理性的だった。


考えてみてほしい。
イマドキの女子高生が、自発的に、社会に媚びるでもなく、シャボン玉で遊ぶだろうか?しかも芝の上で遊ぶだろうか?

女子高生と聞いてイメージされるのは、渋谷や原宿でかわいい洋服を漁り、カフェでだべり、自撮りをして写真をSNSに上げていいね!を集める姿である。それはそれで自らの価値を理解した上で世間に提供する姿勢に感服する。

それが、彼女らは、写真に収められるためでもなく、誰かに見せるためでもなく、ただただ二人でシャボン玉遊びに興じていたのである。その社会的価値を超えた純真無垢な眩しさを見ると、存在への感謝の念が絶えない。



自分にも女子高生だった頃がある。
当時芝生の上でシャボン玉遊びに興じる女子高生を見たところで、ここまでの尊さを感じることができただろうか?
おそらく、「わーなんかたのしそー」くらいの感想で終わるだろう。

女子高生を眩しく、尊く感じたということは、大人になったということだと思う。
普段14歳を自称していても、年を重ねてしまっていたのだなあ。寂しさもあるけれど、女子高生を尊く感じられるなら、大人も悪くないのかもしれない。




余談だが、肘の女子高生時代は、女子高生という記号的価値を活かすどころか殺すようなことばかりしていた。私服校だったこともあり、冬は防寒を優先し、厚手のタイツの上からジーパンを着用するなど、女子高生らしい格好などしなかった。類は友を呼んで、そんな感じの友人が多くて、それはそれで楽しかったから全く後悔はしていない。
が、あの頃だから許されたこと、あの頃だから価値が最大化された服装や行動もあったのだとは思う。
いやはや、「女子高生する」のも難しそうだなあ。