コミュ障ゆとり新入社員の一年を振り返ってみた
肘、「新入社員」の肩書を失います
光陰矢の如し。
自己認識上は未だ14歳、社会人という事実をまだまだ受け入れられていないというのに、明日で肘は「二年目社員」になってしまう。
そう、「コミュ障ゆとり新入社員」を名乗れるのは今日が最後。
今日をもって、「新入社員」という免罪符を失い、そこに残るのはただの「コミュ障」「ゆとり」である。悲愴感漂うフレーズだ。
一先ずの区切りとして、「コミュ障ゆとり新入社員」としての一年を振り返ってみよう。
新入社員全体研修
座学であったり、実地見学であったり、とにかくは同期全体でまとまって研修を行っていた。
思い返すと、このときが一番ぼっちという感覚があった。コミュ障は人数が多いほど悲愴感が増す。
この研修で学んだことは、ぼっちとは自由であるということ。
昼休みに一人、同期が行かなそうなお店へ行きご飯を食べたり、残り時間を書店で過ごしていると、出勤していることを忘れるほど休みを満喫できた。
反省点としては、不要な飲み会は出席してしまったこと。肘なりに飲み会に参加しすることで、コミュ障の克服を試みた。しかし、20数年で染み付いたコミュ障はそう易々と治らない。時間とお金を浪費するし、精神への負荷も大きい。周囲に気も遣わせる。直帰こそ正義だ。
ポイント
- 昼休みは同期のいないお店へ行く
- 飲み会は全力で回避する
本配属
研修を終え、本配属を迎える。
配属先は同期はおらず、部署自体の人数も少ない。おかげで、コミュ障を拗らせた肘でも「新入社員」として大いに面倒を見て頂くことができた。同期に友達が少ないため、同じ立場で励まし合うことができないのはデメリットだったかもしれない。
コミュ障であるが故に、仕事上付き合いが必要な人たちとの関係構築がなかなか上手くいかなかった。
先輩に相談したら「業務に関係ない話も混えると良い」とアドバイスを頂いた。コミュ障ゆとり新入社員は、天気の話しかできなかった。
つらいことと言えば、年末年始の飲み会である。大人は何かにつけて飲みたがるよな!飲みニケーションってか!
飲み会こそ、業務に関連しない話題がしこたま必要な場である。コミュ障にとっての地獄。
故に、肘にとって年末年始は地獄の季節であった。これが毎年と思うと「キエエエエエ!!!」と叫びそうになる。
ポイント
- 本配属後の部署で同期が少なければ少ないほど、「新入社員」として面倒を見てもらえる
- 「新入社員」として気にかけてくれる分、多少コミュ障でもどうにかなる
- 業務に関連しない話は、天気以外の話題も持っておくと良い
- 年末年始はコミュ障にとって地獄の季節
1〜3月 擬態できなくなる
配属当初は「素直で明るくやる気に満ちた新入社員」に擬態しようと頑張り、朝も誰よりも早く出社を試みていた。
無理だった。圧倒的帰りたさと働きたくなさの前には、「素直で明るくやる気に満ちていよう」という決意は無意味である。
この辺りで社会に適応する難しさをひしひしと実感し、当ブログ「肘日記」に思いをぶつけ始めた。
相変わらず会議でなかなか発言できないし、発言するときは声が震えるけれど、配属当初より若干知識が増えた分、業務は難しいけど面白くなってきた気はする。いや、もちろん帰りたさは圧倒的なんだけど。
飲み会については積極的に回避するように心掛けている。ノー残業デーは誰かに声をかけられる前に退社する。「飲みの場で普段は聞けない話を聞くことに価値がある」?肘には家でだらだらする時間の方が価値があるんだ!
ポイント
- 理想的な新入社員を演じるのは無理。「ゆとり」の部分が滲み出てくる。最初から自然体が一番。
- 「わからない」ことによるつらさはまだまだあれど、「わかる」楽しさもちょっとずつ感じられるようになる。
- ノー残業デーは誰かに声をかけられる前に全力で直帰。
コミュ障でも意外とどうにかなる。コミュ障ならではの楽しみを見つけよう
同期という対等な関係性の中では「ぼっち」という孤高なる存在になりがちなコミュ障。しかし、各々の部署に散らばれば、一人の新入社員として面倒を見てもらえる。
よってどうにかなる。コミュ障を拗らせた次世代「コミュ障ゆとり新入社員」の皆さんも安心してほしい。
「コミュ障」「ゆとり」「ぼっち」だからこそのメリット、楽しみは必ずある。自由とか、節約とか。不安もあるはずだけど、コミュ障ゆとりぼっちライフを是非前向きに捉えてほしい。
肘からは以上です。
肘は「新入社員」に代わる免罪符を考えます_(:3 」∠)_