意識の高い「ゆとり」による帰宅願望分析
こんばんは、コミュ障ゆとり新入社員の肘です。
お天気と帰宅願望
仕事中、運転しながらふと、「今日は青空が広がり清々しい良い天気だ」と思いました。
ついでに、「こんなに良い天気なんだから帰りたい」と思いました。
そのとき、自分で思いつきながらも、「良い天気なんだから」という部分に引っかかりを覚えたのです。
そういえば雨の日だって、「こんなに天気が悪いんだから帰りたい」と思っているぞ、と。
送迎バスと幼児願望
今朝、通勤中に幼稚園の送迎バスを見かけました。
「私も迎えられて幼稚園児になりたい」と思いました。
運転中、通っていた幼稚園の園歌を口ずさんでみました。
園歌では、「空と風が友であり、今日も共に遊び舞う」みたいなことが歌われています。
「園歌歌ってるし幼稚園児になれたも同然だ」と思いました。
このとき、バスは見かけていません。
責任を外に求めている
ここからわかるのは、帰りたい気持ちに天気は関係ないし、幼稚園児になりたい気持ちに送迎バスを見るか見ないかは関係ないということです。
仕事中に帰りたいと思うやましさを。
23歳が幼稚園児になりたいというやましさを。
誤魔化すために責任を外に求めてしまっています。
現代社会で求められる主体性、内的要因の元に動くことに反していることが読み取れます。
これは、「ゆとり」としての意識の低さが露呈していると言えましょう。
意識の高い「ゆとり」として
帰りたいから帰りたいし、
幼稚園児になりたいからなりたい。
それでいい。
これからは胸を張って声に出します。
「ああ、帰りたい」と。
そこに理由はなく純粋に心から湧いてきた願望なのだと。
一つだけ伝えるなら、
流石に今から幼稚園児になりたいというのは嘘です。
JKが良い。