林檎とペンの他に私に何が持てるのだろう
2016年、一世を風靡したピコ太郎氏。
林檎とペン、パイナップルとペン、ペンとパイナップルと林檎とペンを手に軽快に歌い踊る様が印象的だった。
ピコ太郎氏は歌う。
I have a pen.
I have an apple.
ピコ太郎氏が持つのは今やペンと林檎に留まらないだろう。
富!名声!酒!女!
(後半2つは想像に過ぎない)
PPAPを聴く。口ずさむ。
I have a pen.
I have an apple.
口ずさみながら、肘にもペンと林檎は持てると感じる。
でも、
ペンと林檎以外に、
肘は何を持てるのだろう。
富も名声も酒も女も持っていない。
コミュ力も勤勉さも持ち合わせていない。
肘は、肘は何を持っているのだろう……?
疑問を持ちながら続きを口ずさむ。
I have a pen.
I have a pineapple.
パイナップルが出てきた。
パイナップルなら肘にも持てそうだ。
歌は佳境に入り、ついにかの有名なPen-Pineapple-Apple-Penが登場する。
このフレーズは凡人たる肘にヒントを与えてくれた。
「既存の概念を掛け合わせ進化させよ」と。
ピコ太郎氏は肘のような凡人にもわかりやすいヒントをPPAPを通して与えてくれているのだ。
なんとありがたい話か。
例えばこれまで名乗ってきた「コミュ障ゆとり新入社員」も
コミュ障
ゆとり
新入社員
の掛け合わせである。
「コミュ障ゆとり新入社員」……既存概念の掛け合わせをしてみたが物悲しさが増しただけであった。
何でもかんでも掛け合わせれば良いというものではない。
さて、肘は何が持てるというのか。
疑問が振り出しに戻る。
歌って踊って忘れるしかない。
歌おう、PPAPを。
以上がPPAPの中毒性の考察である。