肘日記

過激派失恋芸人の華麗なる日常と失恋フェスの記録。コミュ障ゆとり新入社員でもあり、瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢でもある。

肘が肩書きを欲張る理由(瞬足と失恋とゆとり)

こんにちは!

瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢・過激派失恋芸人・コミュ障ゆとり新入社員(n回目)の肘です。

 

わかる、わかるぞ……皆さまの考えていることが……聡明なる肘にはわかってしまう……!!

 

「こいつ、欲張って肩書き並べすぎじゃね???」

 

肘もそう思うよ。

自分自身、こんなに肩書きが増えると思ってなかったよ。びっくりだよね。誰かに与えられた訳ではなく、あくまで自分で名乗り始めたるんですけどね。

 

これらの肩書き(ただしあくまで自称)によって「こんな記事書きたい!」「これやりたい!」って思考が強化される気がして。

 

千鳥あゆむさんによる「WEB記事 Advent Calender2019」。お見かけして「楽しそう!」と参加することにしました。しかし一介のゆるゆるブロガーは書くことに悩みます。結果、自称している肩書きと文章(につながる思考や行動)について考えてみることにしました。

 

まずは肘の自称する肩書きを解説させてください

さも当然かのように「瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢!」とか言ったものの、普段肘と接点のない方からすれば「なんのこっちゃ??」ですよね。

それぞれ説明していきます。

 

「瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢」とは

メイドカフェやコンセプトカフェへの「ご帰宅」好きが高じて名乗り出した肩書き。

週1以上はほぼほぼメイドカフェやコンセプトカフェへご帰宅しています。

そこでの経験を元に、ここ『肘日記』や『メイドカフェポータルZ』でレポートを書き愛を叫んだりしています。

(メイドカフェポータルZは複数人でメイドカフェへの愛を叫ぶサイトですが、デイリーポータルZ様への憧れがタイトルに滲み出ています。)

 

「過激派失恋芸人」とは

2018年3月、数年交際していた相手に振られたことをきっかけに、様々な前衛的破滅的アクティビティに邁進。このアクティビティを「失恋フェス」と呼び、自らを「過激派失恋芸人」と呼び始めました。

 

失恋フェス第1弾にして代表作の滝行についてはこちらの記事をご覧ください。

 

「コミュ障ゆとり新入社員(n回目)」とは

2015年、大学を卒業し社会人になりました。

新入社員研修を受け、周りには数百人の同期。一切友達ができませんでした。

そんなコミュ障具合を人事はスルーしたのか、肘の初期配属は営業職。(何なら今も)

全日本ミスマッチ大賞受賞モノのミスキャスティングにより、配属先でも様々なやらかしをする中で名乗り始めたのが「コミュ障ゆとり新入社員(n回目)」です。

このn回目については「2年目以降も新入社員2、3、4回目……と"新入社員''を脱せない」という諦念が現れています。

 

肩書きは肘をつよく、ポジティブにした

「ラベリング」なんて風にも言うのかな。

上述の肩書きを肘自身に付与して自称。「株式会社◯◯の△△」というより「コミュ障ゆとり新入社員の肘」「過激派失恋芸人の肘」「瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢の肘」といった自己認識が強まります。

 

たとえば、「コミュ障ゆとり新入社員」。

お取引先様に提案を納得してもらえず、しょんぼり帰ってきて、そこから上司に怒られて、上司から3秒に1度繰り広げられる舌打ちをBGMに仕事して……と普通ならしょんぼりダークモードに落ち込んでいきそうなとき。

 

「"コミュ障ゆとり新入社員"として、どうしたら愉快にコトを切り取れるか。ネタにできるか。どのようにブログやツイッターに書こうか。」

 

というように人に見られることを前提としたポジティブで愉快な切り取り方を模索するようになります。

「上司に怒られた〜まぢ最悪」ではなく、「上司の3秒に1回響き渡る舌打ちに合わせて、キーボードをターンッと叩いてセッションしたい」と表現するようになるのです。

 

たとえば、「過激派失恋芸人」。

「振られた最悪肘には価値がないつらいぴえん」ではなく、「交際は失恋フェスに至るための大掛かりな伏線期間!失恋とは最後にして最高のプレゼント!」とか言い出します。

 

上記2つはネガティブ要素から始まりますが、ポジティブ要素から肩書きが始まる場合も。それが「瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢」。

単にメイドカフェが好きだったのが、この肩書きを名乗り始めてからさらに加速。店舗オープン日に「瞬足で」ご帰宅するなど行動が強化されています。

 

自らに肩書きを付与することによって、肩書きにふさわしい思考・行動をしようという意識につながる。さらにそれらが、ブログやツイッターの文章表現につながってきたのです。

 

読み手の意識に肩書きで刷り込みアプローチ

オリジナルの肩書きを自ら名乗ると、相手の第一印象もそれに沿ったものになるでしょう。

ブログ記事の冒頭は大体挨拶として肩書き+名前があるので、その後の本文を読む際に「筆者はこういう人なんだ〜」と少なからず影響します。

 

「過激派失恋芸人」が失恋をバネにはしゃいでいたらスムーズに受け止められそうだし、逆にズーーーンと落ち込み沈んでいたら「???」と疑問符が飛び交うでしょう。

 

どう見られたいかを肩書きに反映し宣言することで、ある種、印象操作すらできるのかもしれません。

 

受け止めてくれる場が見つかるのが、インターネット

自己の思考・行動に方向性を持たせ、他人からの認識の方向性もある程度規定する。そんな効果が肩書きにはあると思います。

ただ、肩書きを通じた筆者像が形成されるには、一方通行にのたうち回るだけでなく、「認識される場」が必要です。その「認識される場」、コミュニケーションの形式としてブログやツイッターが存在しているのではないでしょうか。

 

肘が普段「ツイッターランドだいすき〜!」と叫んだり、『肘日記』等のブログではしゃぎ倒しているのは、現実世界で受け止められづらい肩書(個性の尖った部分)に沿って堂々と振る舞うことが許されるように感じるからです。受け止めてくれる場があるとわかるから、現実世界でもちょっとだけ強く、胸を張って生きていける。

(現実、つまり会社あたりで「過激派失恋芸人でーーーす」とか言ってたらぶっ飛ばされそう)

 

今後も愉快につよく生きていくため、瞬足ご帰宅お嬢様ガチ勢・過激派失恋芸人・コミュ障ゆとり新入社員(n回目)として肘は邁進していきます!

(肩書きの枠の外の思考・行動を意識無意識問わず制限かけちゃう一面はあるから、ちょっと注意したいなとは思ってる。)