ねこさま目線
「わぁ〜、なんかニンゲンが喚いてる」
これが、ねこさま目線を体得した先の思想。
さて、今日も今日とて働きたくない。
しかし資本主義社会において「労働万歳!」「弊社たそぺろぺろ!」といった発言は賞賛されても、「働きたくない」とストレートに発言すれば非難轟々である。
ツイッターランドでこそ、「働きたくない」が許されても、現実世界やFacebookでは許されない。(だから肘はツイッターランドだ〜いすき!)
ストレートな「働きたくない」は現実世界で許されない。
ストレートに「働きたくない」と言うと思想が強化されてますます仕事がいやになる。
辿り着いたのが、婉曲表現。
なんと5年前、入社1年目フレッシュな新入社員のときには既に辿り着いていた。
「土地になりたい」と言っていた。
コミュ障ゆとり新入社員を自称していただけあって、仕事への意識は驚くほど低い。けれども「働きたくない」の婉曲表現への意識は、所謂新入社員らしい前のめりでフレッシュな姿勢を感じさせるほど高かった。
「土地になりたい」
存在するだけで価値がありお金を生み出す存在になりたい、の意。
コミュ力不足の中、「仕事だから」と自分に言い聞かせて胃を痛めながら様々な人とやり取りして、「申し訳ありません」と頭を下げる毎日。
同期は肘の3倍くらいのお仕事をこなしているのに、キャパ不足で落ちこぼれなのを痛感する毎日。
存在するだけでお金を生み出せるならこんなことしなくて良いのに。
土地なら、存在そのものが価値があるのに。
しかし今、土地よりなりたい夢がある。
ニンゲンより高位の存在。
存在している、ただそれだけで尊い。
気ままに振る舞っても、それすら"""価値"""。
NEKOSAMA!!!
「ねこさまになりたい」
これが「働きたくない」の境地、究極体である。
「働きたくない」んじゃない。
「好きな時に好きなだけ寝て、食べて、遊んで、方々に頭を下げずに済んで気ままに過ごしたい」
それ即ち、ねこさまに許された生き方。
夢は願わずして叶わない。
逆に言えば、夢見た瞬間それは叶い始まっている、幾分か叶っている。
つまり、「ねこさまになりたい」と思った時点で「ねこさまになりつつある」のだ。
肘は、ねこさま。
ねこさまなので、お仕事の関係者が小難しい顔で小難しいことを言ってきても
「わぁ〜〜〜ニンゲンが何か喚いてる」
と思うのです。だってねこさまだから。
これをねこさま目線と名付けます。
上手くいかないな〜ってとき、「ねこさまになりたい」と思ってみませんか?そうすればあなたも、その瞬間からほぼほぼねこさま。ねこさま目線で厳しい世の中をサバイブしましょう。
「働きたくない」の一言をお役立ちライフハック記事風に引き伸ばしたころでそろそろ寝ます。ポンコツだけどクビになってないから5億点!!!
おやすみなさい。